岩槻の名所 岩槻のお花見
岩槻のお花見スポット
岩槻の桜の名所
岩槻にも桜のスポットは沢山ありますが、みやびも今年はお花見出来ませんでした。 折角咲いた桜が、人知れず散ってしまうなんて残念すぎます。
桜は日本人の心、もうこんなことはおこらないでほしいとみやびは願います。
このページでは岩槻の桜をご案内します。 他のページ同様以前の写真も多いけど、慈恩寺観音については2020年にコッソリ写真を撮影してきました。
慈恩寺観音 ~かの有名なアノ人ゆかりの寺~
慈恩寺観音文書(看板内容)
平安時代の創立と伝える慈恩寺は、坂東札所などとして広い範囲の信仰・巡礼者を集め、さらに歴代の岩槻城主や幕府の保護を受けた古刹である。 当時には岩槻城主・太田資正の天文18年(1549)の半物以下、518点の古文書が伝えられている。 内容は、寺領寄進状、慈恩寺法度等の幕府や岩槻藩の保護・統制に関するもの、寺院の組織・経営に関するもの、その他がある。 幕府や岩槻城主の寺院支配、寺院・寺領経営、寺領村落の様相などを知る上で貴重な資料群である。 慈恩寺には66もの堂塔があったが、戦国時代の混乱の中で、多くは慈恩寺の支配から離れてしまっていた。 この文書は、岩槻城主太田資正が、慈恩寺の66坊支配を回復・保証したものである。
さて、それでは慈恩寺観音ツアーをはじめましょうか。
慈恩寺観音本堂の左にある門から入っていきます。
そこから覗いた鐘の風景が見えますね。
そのまま真っすぐ進んでいきます。 桜が鐘の所へ誘っているみたいですね。 そして鐘を下から見上げたところ。
慈恩寺観音本堂です。
天保14年(1843年)の建立されたらしいですが、数年前には修復されて綺麗になりました。
毎年5月5日に玄奘祭が開催されています。
慈恩寺から玄奘三蔵霊骨・玄奘搭まで孫悟空の衣装の子供が練り歩くそうです。
(「地域情報誌Webらうんじ」に可愛い写真が掲載されています)
なんと山伏の火渡り修行も行われたらしいです。
最後に貴重な写真をひとつ。改装中の本堂を内側から見た写真です。 張り巡らされた足場がなんとなく近代的な雰囲気を醸し出してますね。 慈恩寺観音は桜自体は少ないですが、歩いて数分の所に三蔵法師さまが分骨されている塔があり、そちらで沢山の桜を見ることができます。慈恩寺観音にいらしたらあわせてどうぞ。詳細は以下から。
玄奘三蔵法師霊骨塔 ~かの有名なアノ人分骨の塔~
まわりには桜が植えられています。なかなか絵になってますね! 慈恩寺もそうですが、周りが畑なので非常にのどか。平日はとても静かで実は穴場スポットです。
岩槻区区議会議発行の「城下町いわつき・岩槻区ガイドブック」によると、昭和17年(1942年)中国の南京において旧日本軍が整地作業中に発見。石棺に収められていた玄奘の遺骨を、昭和19年に分骨。当初は芝の増上寺に安置されていましたが、戦火が増すにつれ蕨の三学院を経て三蔵法師ゆかりの唐大慈恩寺と縁のある慈恩寺に安置されました。その後、関係者の熱意により昭和25年東武鉄道の根津嘉一郎氏寄贈の重三重塔基礎部にまつられました。ちなみに、奈良の薬師寺の霊骨は、当時から昭和55年に分骨されたものです。とあります。
玄奘三蔵法師霊骨塔(看板内容)
西遊記(孫悟空物語)で知られる三蔵法師(玄奘)は、西暦602年中国に生れ、経典を求めて、天竺(インド)を志し幾多の辛苦を克服して17年に亘って佛典の蒐集研鑚に励み、しかも帰国後63歳で還化されるまでに、大般若径(600巻)等1300余巻の経典を訳した。その行跡は、中国、日本佛教史上に不滅の光を放つ不世出の高僧である。 ながく不明であった霊骨が昭和17年に南京に於いで発見され、日本にも分骨贈与されて当山が法師有縁の地として、昭和25年、十三重の塔を建立し全佛教徒の聖地とすべく奉安したものである。
こちらが正面の門です。テレビドラマの西遊記(元ジャニーズのあの方が主役)の放送の際にリニューアルされたとのこと。
十三重の塔
これが玄奘三蔵霊骨・玄奘搭(十三重の塔) 石材は花崗岩で、高さは15メートル。 石材の数を数えるとちゃんと13枚重ねです。
三蔵法師像
玄奘搭の傍には三蔵法師さまの像があります。TVや映画と違ってちょっと渋めでステキ。 みやびは桜をバックに三蔵法師さまと記念写真撮りましたよ。
大摩尼車(転経器)
内部に般若心経の写経が収められているので、時計回りに回転させればお経を唱えるのと同じ行徳があるとされています。あなたも三蔵法師さまに近づけるかも?
諏訪公園 ~団地の中のオアシス~
東岩槻のマンモス団地、山下団地の一角にある諏訪公園は桜の名所。みやびは子供の頃からここの桜が好きで、何年にも渡って撮影してきました。こうやって見てると岩槻公園に負けず劣らず桜の本数が多くて圧倒されますね。公園内には規模は小さいけれど学問の神様を祭った諏訪神社があります。※写真は正月のもの
花見の帰りにお参りもいいでしょ?
桜が散ってしまうのは寂しいですが、これはこれで美しい光景が広がっています。
みやびは桜が散ったあとの薄いピンクの絨毯の上を歩くのが大好きです。
「さくさく」音を立てながら、来年も同じように桜が見られますようにと願いながら歩きます。
世界が平和でありますように。そして来年は流行病が収束しますように。
諏訪公園の紹介の最後にどうしても見ていただきたい写真があります。
諏訪公園の裏の2階建て団地が建て替えの為取り壊されました。
団地の集会場あたりに2本の立派な桜の木がありましたが、団地を取り壊してもその2本の桜だけはそのまま残されました。
それがこの写真。
周りが綺麗に更地になっている中で堂々と伸びている2本の桜。ちょっと不思議な光景ですね。
この2本が残された経緯はわかりませんが、なんだか嬉しくなりました。
残してくれてありがとう。
浄源寺 ~枝垂桜は圧巻の一言~
この寺の周辺は藩政時代に武家屋敷があったことから、今でもかつてを偲ばせる趣や、城下町ならではの丁字路が多く見受けられます。
※城下町いわつき・岩槻区ガイドブックより。
その下に入って見上げるとまるで桜の滝の下に居るようですよ。感動的!
ここまでの大木に育つには何年かかったのかしら?お寺の方も頑張ってお世話したんでしょうね。
素晴らしい枝垂桜、これからも大事にしていって欲しいと思うみやびです。
久伊豆神社 ~特撮番組のロケ地~
久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社である。祭神は大己貴命(大国主)である。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。加須市の玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている。※Wikipediaより。
「くいずじんじゃ」って呼んでかつての日本テレビの名物クイズ番組の「史上最大!第11回アメリカ横断ウルトラクイズ」(1987年)も来たことがあります。スーパー戦隊シリーズのロケ地としてたびたび使われたことも。
久伊豆神社由緒(看板内容)
久伊豆神社は今を去る1300年前、欽明天皇の御代出雲の土師連の創造したものと伝えられる。その後相州鎌倉扇ケ谷上杉定正が家老太田氏に命じ、岩槻に築城の際、城の鎮守として現在地に奉鎮したものといわれている。江戸時代歴代城主の崇敬厚く、特に家康公は江戸城の鬼門除として祈願せられた。 神社境内は城址の一部で、元荒川が東北に流れ、市内でも数少ない貴重な社叢として知られている。 明治8年1月11日火災に遭い、時の城主、町民より寄進された社殿等烏有に帰し、現社殿は、その後氏子崇敬者の誠意により再建されたものである。現在神域は次第に整い、神威はいよいよ高く神徳ますます輝きわたり岩槻市総鎮守として広く人々の崇敬をあつめている。
龍門寺 ~桜のアーチ~
桜のアーチ
岩槻駅方面から早稲田医療専門学校へ通じる道路をてくてく歩いてったのですが、ありました!「龍門寺」と書かれた目印が。 その目印から横の細い道に入って行くと遥か向こうに桜が見えます。まるでみやびを待っているかのようです。 両側は一般住宅なので静かに見学したいと思います。